キャンプは「大人の遊び」だ!
キャンプデビューは、10年以上前に会社の同僚に誘われ、チェアを1つだけ持って行った奈良のキャンプ場。到着してすぐにビールを飲む。そんな僕の横で、手際よく準備する同僚を眺めていたのを思い出します。あっと言う間にヘキサが張られ、テーブルが設置され、ほんの1時間で快適な空間が出来上がりました。キャンプって面白いなーと感じて数ヵ月後、ひょんなことから中学校の同級生達とキャンプをしよう!となって道具を買い始めました。毎年のようにギアや小物を買い揃えるようになり、「これは大人の遊びだ!」と、どっぷりハマりました。
春、夏、秋、冬と季節によって使用するギアが変わります。テントやヘキサ、シェルターのレイアウトもサイトの形状に合わせて毎回変わります。そんな繰り返しの中で、ギアは使う人次第で色んな使用方法が編み出されるんだなーと感じることができるんです。また、持参するギアも「この子は1軍、この子は2軍…」など、愛着持ちながらも次回の出番はいつかなと考えながら準備、片づけするのも楽しいです。
焚き火を囲って他愛もない会話でけらけら笑って話す時間は本当に大事
雪中キャンプを狙った2月のキャンプは最高に楽しかった。です。
「雪が積もってるかも」の予報だけを頼りにキャンプ場へ。現地へ到着するも残念、雪は無し。肩を落としながらシェルターを設営。「雪よ降れー」と諦めきれない気持ちで夕食準備を進める。準備が整い晩食しながらしっぽり過ごす。日が沈むのも早いのが冬キャンプの良いところ。空腹が満たされる頃には辺りは真っ暗。その時、待ちに待った雪が降ったんです。「朝には積もるかな?」と感じながら焚き火で暖を取りました。焚き火を囲って他愛もない会話でけらけら笑って話せる時間は本当に大事です。
夜も更け気付けば就寝時間。今回は車中泊。車内に電気毛布を準備して寒さ対策するメンバーもいる中、ダウンを羽織ってシュラフに潜り込みます。顔が冷たいなーと思いながら寝るのもまた良いんです。
翌朝「朝なのにまだ暗いな」と思って起き上がると、車のガラスにはびっしりの「雪」。車を出ると辺り一面真っ白に様変わり。そんな降雪の中、早起きしてダッチでパンを焼くメンバーを発見。この光景にふと違和感を感じ、よくよく見ると手袋を忘れたようで、素手の状態で準備していたことに大笑いしました。忘れ物には要注意と改めて感じた瞬間でした。
その後はパンを食べ、ソリでおもいっきり遊んで撤収。帰りの高速道路通行止めに出くわすなど、クタクタになって帰った2日目でしたが、非常に満足度の高いキャンプとなりました。
スポーツは「言葉の壁を超えたコミュニケーション・感動」
某プロサッカーチームの年間チケットパスを購入し、毎試合ゴール裏に通っていたサポーター時代がありました。
プレイする側ではなく、見る側ではありましたが、「応援」することの楽しさと、「応援の声」が選手に届くことを知りました。
あのときはすごく熱中していた時期でもあり、アウェーの海外試合に連休を取って応援行くことにしました。アジアのアウェー戦、しかも平日開催だったで、味方サポーターはごく少数。アウェー側は満席。この時の応援はなぜか燃えました。少数でも届く声はあるなーと改めて感じれました。何より感動したのは、試合後の言葉の壁を越えた相手側サポーターとの握手やハイタッチ、記念撮影。スポーツはする側も、見る側も「言葉の壁を越えたコミュニケーション・感動」を体験することができる賜物だと強く感じることができました。
福岡県・山口県・島根県はどんなところ?
福岡県、山口県、島根県をまとめて共通して言えることはとにかく「ご飯がおいしい!」です。海、山、川に囲まれていることで、自然にも恵まれた豊かな地域。そういったこともあってキャンプ人口が右肩上がりで急増中。※福岡県の一部地域では行政が入ってキャンプ場を整備中とキャンプ場の支配人さんから情報あるほどです。
歴史的な観点でみれば、「おもしろきこともなき世をおもしろく…」と、僕の座右の銘と言っても良い名言を残した、高杉晋作の生まれ故郷です。江戸幕末~明治維新時代の歴史好きには山口県は魅力的いっぱい、最高な地域です。
山口県に住んで2年以上経過しましたが、キャンプ好きな私にとってキャンプ場探し、巡りは至福の時。「えっ?!サイト料安い!」「夕日最高!」「景色最高!」と、行くたびに素晴らしいキャンプ場に出会えてます。絶対と言って良いほど帰りは近場の温泉につかって家路につくのがお決まりのパターンになってます。
スポーツをやっていて良かったなぁと思った瞬間
学生の頃 スノーボードが上手くなりたい!と、実習からの延長としてゲレンデ横の某民宿ホテルで居候をスタートさせました。
朝、晩は仕事を手伝うので食事は無料。休憩時間の12時~16時が練習時間として1シーズンを過ごすことを経験しました。実家を数カ月離れ、自分のことは自分で行う、今となっては当たり前におこなう生活習慣や、翌年はインストラクターとして「人に教える・伝える」「教えた技術が対価として給与に反映する」という経験が10代で経験できたことは、今振り返ると本当に良かったなと感じます。
余談ですが、フランスのTignes Ski Resortへ1カ月ほど遠征に行った時、98年サッカーフランスワールドカップで優勝したフランス代表の選手皆が書いたサインボールが最寄りのショップにありました。標高は富士山以上ということで、高地合宿として来ていたようです。すごいなーと感心してたのですが、そのボールをショップ店員さんの子供が蹴って遊んでました。
日本人なら「飾る」サッカーボール。何と言うか、ここではサッカーボールはサッカーする為にあるんだなーと、不思議な感覚に思い耽っていたことを思い出しました。